中 勘助 著「銀の匙」を読んで

私は荒川 弘さんの漫画銀の匙』を愛読していて、同じタイトルの本があったよなと思い買ったはいいものの、しばらく本棚で眠らせてしまっていたのだが、それを最近やっと読んだ。

 

銀の匙

こちらの『銀の匙』は、ある少年の幼少期からの成長過程を中 勘助氏が自伝風に綴った作品だ。

某ネット通販サイトでこの文庫を購入する際に上のような(もう少し詳しくて長かったが)紹介文を読んだ時、それほど興味はそそられなかった。

昔の子供が成長するという話がそんなに面白いだろうかと思いつつ、紹介文最後に「漱石が絶賛した名作」とあったので、まあお札に顔を刷られた人が讃える文章なら何かしら得るものがあるだろうと思い、半信半疑ながらもポチった。

 

私は特に読書家ということもなく、月に1冊か2冊読んだらいい方という具合で、そのため本は選びに選んだ末に買うことにしている。

とは言え、「すごい読みたい」と思って買った本ではなかったので、最初に述べたように「積ん読」状態になってしまっていた。

 

けれど一旦読み始めるとすぐに引き込まれ、その世界に入り込んで主人公をすぐ近くで見守っているような気持ちになりどんどんページをめくってしまった。

素晴らしい作品だった。

 

どう素晴らしいかというと、本書中の「解説」にて和辻 哲郎氏が的確に語ってくれている(昭和10年)ので、その言葉を借りてご紹介したい。

 

『銀の匙』には不思議なほどあざやかに子供の世界が描かれている。しかもそれは大人の見た子供の世界でもなければ、また大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶というごときものでもない。それはまさしく子供の体験した子供の世界である。子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は、(漱石の語を借りて言えば)、実際他に「見たことがない」。

 

そうなのだ。私もこんな作品は他に見たことがない。

Photo by Annie Spratt on Unsplash

 

子供時代の話としてすぐ思い出されるのが、中学校の教科書で読んだヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』。

主人公の失敗に共感して、いたたまれない気持ちになったのを覚えている。

「そうか、つまり君はそういうやつなんだな」というエーミールの一言が今も頭に残っている。

授業でこのセリフを読んだ時は、自分に向けて言われたような気がしたものだった。

友達に蔑まれることはきっととても辛い。中学生の私にとっては胃がキリキリするような読後感が残る文章だった。

中学校の教科書に載って然るべき教訓も含まれているし、記憶に残る短編小説だ。

 

 

『銀の匙』でも、ハラハラすることはたくさんあった。なにせ主人公の少年は人間関係にかなり不器用なのだ。

しかしこちらは、読んだ後に残った感覚が、『少年の日の思い出』とは全く違った。

(もちろん、どちらが優れているとか言うつもりはない。ただ違っただけだ)

 

私の幼少時代を思い起こすと、彼ほど人見知りではなかった。

けれど、彼が感じたことを読んでいると、「ああ、私も当時、心の中ではこう感じていたんだな」ということを「発見」した。

そういうことを忘れていたというより、その気持ちはその当時しか感じられなかったことだし、それを言語化できる術は当時の私にはなかったこともあり、ぼんやりとしか残っていなかったのだと思う。

Photo by Aaron Burden on Unsplash

 

子供の頃は恐いことがたくさんあったし、そのひとつひとつの恐怖は、世界が終わることと同じくらいに重大で、絶望的なものだった。

嬉しいことがあった時は、それまであった嫌なことを忘れるくらいに嬉しくて、それがいつか終わるなんて思いもせずただ心のままに楽しんでいた。

 

 

 

 

『銀の匙』では、何か特別に劇的なことが起こったりするわけではない。

でも、子供である本人にとっては大事件がひっきりなしに起こる。近所の他の子供に叩かれるとか、知らない人と出会うとか、大好きな人と離れ離れになるとか。

それらは誰もが人生で経験し得ることだ。

他人の不幸や悲しみに対して、自分にはどうする力もなかったり、誰かに伝えたかったことを伝えられなかったりもする。

そんな、私も記憶にある、人生のいろいろな場面で抱いた「後悔」や「無念さ」を、この作品を通してもう一度体験した気がした。

 

子供が見る世界や感じることは、とても繊細でもっと豊かなのだろう。

そのままではこの世界を上手く生きていくことが難しいから、大人になるにつれて私たちは少しずつ様々な感情を鈍らせていくのかもしれない。

けれどたまにこうして、あの頃の繊細さや豊かさを思い出すことは、とても大切で祝福すべきことではないだろうか。

 

Photo by Anders Jildén on Unsplash

 

『銀の匙』を読み終わった時、爽やかで柔らかな風が通り抜けた後のような感覚があった。

自然な哀しさ、自然な喜び、あたりまえでありのままの想いに触れた、貴重な時間を与えてくれた1冊だった。

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