映画「Eye in the Sky」とゲーム「The Last of Us」

英国制作の映画「Eye in the Sky」と、PlayStation3専用ゲーム「The Last of Us」(2018年8月にPS4用HDリマスター版発売)の後味が似てたので、そのことについて。

 

Eye in the Sky

ドローンを使用した戦争の現状を、様々な立場の人々それぞれの視点から描いた英国制作映画。

これを私が観ようと思ったのは、ストーリーに興味を持ったのはもちろん、ドラマ「ブレイキング バッド」でジェシー・ピンクマンを演じた Aaron Paul が出演していたからという単純な動機。

(日本版サイト https://www.jp.playstation.com/scej/title/thelastofus/entrance.html

 

The Last of Us」 (以下、TLoU ):

人々が謎の寄生菌に感染し始めて世界が荒廃する中で、ゾンビっぽくなってしまった感染者と戦いつつ、まだ生き残っている人たちの中にも敵と味方がいるためにお互いに攻撃しあったり助け合ったりしながら生き延びようとする人の物語。

とにかく映画味がハンパなく、登場人物のグラフィックと英語版の声優の演技がリアリティを与えていて、「観ごたえ」のあるゲーム。

ただ私は、このゲーム(リマスター版)をプレイしている友人の横で「鑑賞」していただけなので、操作性などは分からないので悪しからず…。

(PlayStation公式サイト https://www.jp.playstation.com/scej/title/thelastofus/entrance.html

 


以下、ストーリーの核心について言及しますので、いわゆる「ネタバレ」をしてしまいます。

まだ当映画を観ていない、当ゲームをプレイしていなくてこれからプレイするつもりの方は、これ以降は読まないほうがいいです。


 

Eye in the sky」は、英・米・ケニアが合同で大規模なテロを未然に防ぐために、テロリストにドローンを使ってピンポイント攻撃を仕掛けるという内容。

 

そのテロリストたちが潜むナイロビの民家の周りには、現地の人々の往来があり他の民家も隣接しているため、一般人への被害を最小限に抑える必要から、計算された的確なオペレーションが求められる作戦。

その準備を秘密裏に遂行する現地工作員の働き、司令側の内部やドローン操作士たちの間で起こる葛藤を、緊迫した雰囲気の中で追うストーリーだ。

 

 

 

けれども、この映画はまず、ある家族の様子を映し出すことから始まる。

庭先の釜でパンを焼く女性(母親)と、フラフープを綺麗にデコレーションする男性(父親)。そしてそのフラフープをキラキラした眼で見つめる幼い女の子(アリア)がいる穏やかな光景。

 

この映画のほとんどの時間は、ドローン攻撃を成功させるまでを描き出すことに費されるのだが、何度もこの一家の場面が唐突に登場する。そして、そのうちに彼らの家がテロリストの潜伏する民家の裏にある家に住んでいることが、明らかになる。

 

一方で作戦はどんどん進み、ついにドローンからミサイル発射という段になって、ドローンから送られてくる映像の中にアリアが現れる。彼女はテロリストのアジトの前で母親が焼いたパンを売り始めるのだ。

 

これによりミサイル発射は一時的に保留となり、英軍上層とドローン操縦士達の葛藤が繰り返される。

最終的に、ドローンのミサイルは発射され、アリアがその犠牲になってしまう。

その時その場所でしかテロリストたちを一網打尽にするチャンスはなく、逃せばより多くの人々が爆弾によって命を失うであろうことが確実視されていたからだ。

 

軍人や政治家達の口論や駆け引きが多くを占める映画だが、最後はアリアがフラフープで遊ぶシーンが流れて終わる。

私は最初、この映画をドローンを使用した戦争への問題提起を投げかけるものとして観ていた。

しかし、エンディングシーンを見ている間に、アリアの短い人生に想いを巡らせずにはいられなかった。

まだ幼くいたいけな女の子が狂信者による抑圧のせいで、勉強も遊びも制限された中で両親を手伝って懸命に生きていた。

 

その点が劇中で細かに描写されていたのは、ドローンそのものに付随する問題とは別の、人類が古来から抱えてきたジレンマを再び問いかけるためだったのではないか。

そのジレンマとは、多数を助けるために少数に犠牲を強いることは正しいことなのか、ということだ。

 

同じジレンマを、「TLoU」の中にも見た。

このゲームの主人公はかつて娘を感染者の襲撃により失った父親(ジョエル)で、彼は、感染者に噛まれてもゾンビ状態にならない少女エリーと出会い、彼女を反乱軍がいる場所に送り届ける使命を負って旅に出る。

 

2人は助け合いゾンビや人と戦いながらなんとか反乱軍の基地に辿りつくが、そこでジョエルは、彼らがエリー(の脳)を使って寄生菌に対するワクチンを作るつもりだと知る。

ワクチンができれば、世界中の人を救うことができる。でもそのためにはエリーは犠牲にならなければならない。

ジョエルは、眠らされているエリーを救出し、反乱軍の基地を脱出する。

 

ゲームをプレイしていた友人がそのラストをどう思うか私に尋ねてきた。

Eye in the Sky を観た後すぐのことだったので、「ジョエルが正しい」と即答した。

友人は同じ意見ではなかったみたいで、「でも世界中の人が助かるんだよ?」「エリーもそれを望んでたかもしれない」と続けた。

「いや、絶対エリーを犠牲にするべきじゃなかった」と答えたけれど、その理由は?と問う自分もいた。

それからしばらく、事あるごとにその理由について考えていた。

そして自分なりに出した答えは、「エリーが意思表示できる状況じゃなかったから」。

彼女が自分の意思で犠牲になると決めたのでない限り、彼女の脳を取り出すことを正当化することはできない。

 

しかし、Eye in the Sky では作戦終了後に政務次官が国防副参謀長に「恥ずべき作戦だ」と投げかけ、安全な場所から全てをやったことを非難する。

副参謀長はそれに対し、過去に5回の自爆テロ現場の処理をした経験があり、その光景がいかに悲惨だったか語る。そして、今日見たことは確かに恐ろしいことだったが、テロリスト達がやったであろうことはもっと恐ろしいと返した。

 

私も、その現場を見たり経験したりしていないから批判できるのだろうと思う。

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