不当に拘束されたジャーナリストを糾弾する社会はオメラスに似る

「オメラス」というのは、アーシュラ・K・ル・グインの書いた小説「オメラスから歩み去る人々」に登場する「幸福」な街の名前だ。

そこには君主も奴隷も、株式市場も爆弾もない。街は美しく、気候は温和で人々は健康に何不自由なく暮らしている。

ただ、その街のどこかの地下には、不衛生で窓もなく暗い小部屋があり、そこには子供が1人監禁されている。誰にも話しかけられず、何も着せてもらえず、栄養状態が悪くやせ細っている。

オメラスの人たちはその子供のことを誰もが知っていた。その子供の存在が、オメラスの幸福を支えていることも。

もしも誰かがその子供を救出し、清潔な部屋で満足な食事を摂れるようになったら、オメラスは崩壊することになっている。だからみんな、子供のことを知っていながら目を逸らし、豊かな恩恵を享受して暮らすのだ。

 

Photo by Anita Austvika, Max Hofstetter, Charles Deluvio on Unsplash

 


 

フリージャーナリストの安田純平さんが国際テロ組織の関連組織から3年ぶりに解放され、帰国したというニュースを知り、率直に「良かった」と思った。

もちろん私は安田さんと全く面識はなく、ジャーナリストでもない一般市民に過ぎないのだが、それでも、1人の方の命が窮地を脱し無事に帰国できたということが嬉しかった。

同時に、2004年に邦人3名が人質になった事件を思い起こし、また「自己責任」の言説を振りかざす人たちが出てくるだろうか、と一瞬思ったが、そうならないかもしれないとも思った。

14年前の被害者の方々に対して当時の国内で巻き起こったバッシングの嵐は、見聞きするだけでも恐ろしく感じたのを覚えている。

あの時の嫌な気持ちはきっと多くの人が感じていたに違いないと根拠なく思い、14年分成長したはずの社会は、今回は理性的な対応をするだろうと勝手に思った。

けれど、結局は今回も同じような反応を示した人が少なくなかったようだ。

もちろん、安田さんの帰還を祝福し、擁護する人もたくさんいて、そういう意見を読んだり聞いたりできることで少し安心した。

 

Photo by davide ragusa on Unsplash

 

批判的な意見の中に、「身代金が支払われていたとしたら、それを資金にテロ組織が武器を買い、多くの人が犠牲になる」という主旨のものを目にした。

日本政府は身代金を支払っていないと否定しているので、これはそもそも仮定に基づく言説を用いて安田さんを批判していることになる。また、カタールが支払った可能性が示唆されているようだが、あくまで可能性である。

しかし、仮に身代金が支払われていたとして、テロ組織による拉致事件の被害者である安田さんを「テロ組織が武器を買い、多くの人が犠牲になる」ことに対して責任を問う人は、実際に銃を人に向けるテロリスト1人1人の責任と、他国に武器を大量に輸出する先進各国(武器輸出トップ10には主要先進国が名を連ねる https://www.businessinsider.jp/post-163973 )の責任についてはどのように考えているのだろう。

加害者や武器提供者ではなく、3年も拘束されながら生き延びた被害者を糾弾することの意義とはなんだろう。

 

(もし、その武器で犠牲になるかもしれない人たちへの想いではなく、自分の税金が身代金に使われたかもしれないことに憤っている人がいるなら、その人は一度落ち着いて客観的に考えてみたほうがいいかもしれない。税金は様々なことに使われる。国会中に寝ている議員への報酬や、経営破綻に陥った銀行を立て直すための資金、新国立競技場の建設費にも。仮にそんな税金の一部が身代金として拠出されていたとして、そのお金で人1人の命が助かったということが、そんなに許せないことだろうか。)

Photo by Fabian Blank on Unsplash

 

 

 

 

 

安田さんはジャーナリストとしてシリアへ行った。

私たちは、世界のどこかに貧困や虐殺があり理不尽に拘束されている人がいることをなんとなく知っている。でも日々自分のことで精一杯で、遠くの人を助けるために積極的に自分の生活を犠牲にはできない。

その役割は、今この瞬間もジャーナリストや国際NGO、人道支援団体など多くの機関が各地で担ってくれている。

彼らは現地で人々を助けていて、同時に私たちの力にもなってくれている。もし諸問題が放置され紛争地の情勢が悪化すれば、その余波はいつか様々な形で日本にも届くことになるからだ。

彼らは世界が今以上に悪くならないように、世界を良い方向に進められるよう、身を危険に晒しながら水際で食い止めてくれている。

もしかしたら、彼らのような人たちの人道的な支援や世界に惨状を知らせる報道を、いつか私たちも必要とする時がくるかもしれない。

その時、私たちの痛みや苦しみが外に全く報じられず、あるいは誰もがその状況を知ったとしても「危険な場所だから」と誰も来てくれなかったら…。

Photo by Tommy van Kessel on Unsplash

 

タイトルと冒頭で触れたオメラスの子供は、今も地球上のあらゆる場所で困窮し虐げられている人々のメタファーとして引き合いに出させてもらった。

ジャーナリストは、オメラスにはいなかった、孤独な子供のもとを訪れて誰もが目を逸らすその痛々しい姿を皆に伝え続ける人たちだ。

Photo by Patrick Pierre on Unsplash

 

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